勉強する目的って?
しょっぱな、こんなことをタイトルにしてしまった。まあ、僕自身勉強目的意識などあまりない。僕はプログラミングを趣味としてやっているが、それに対して全くと言っていいほど目的などはない。強いて言えるとすると、快楽のためや不安なことから逃れたいということだろう。
パソコンの中では人を傷つけない限り何をやってもいい。ゲームで人を殺しても罰せられないのと同じで、空想を現実にする手っ取り早い手段として僕はプログラミングをしているのに過ぎない。職業にしたいと思うが、あいにく席は空いてはない。それの競争に突入する気はあるがね。
プログラミングは勉強の連続だ。僕は趣味でゲームに関するプログラミングをしている。といっても、Unityとかでゲームを作ると言ったものではない。せいぜい、Java系統の言語で3Dを描写できないかな?とかゲームサーバのモックを作るといったようなものだ。これはこれで楽しい。だれもやったことがないから誰からも文句を言われない。そんな一人の空間が好きだから作るのだ。そんな中でも、人からは「それ作った理由を聞かせてくれ。」と言われることがある。
それに対する僕の答えは「知るかよ!ボケ!」だ。本人には直接は言わないが、率直な答えがそれだ。
だって、僕が作る理由は単純明快だ。ただ、面白いことをしたということだ。それに対して、「社会への貢献!」、「みんなのために!」とかというのはまったくない。僕は聖人君子ではないし、任天堂前社長の岩田さんみたいな考えは持つことはできない。僕はただひたすら自分の子どもの頃にできなかったことをやっているだけなのだ。
だから、勉強する目的というのは大きくなくていい。むしろあったほうが不便だ。無目的に知識を吸収して、それを無目的に吐き出す。それで何が悪いのだというのだろう。
だが、それをすることは世の中では悪だと感じる輩がいるのも事実だ。確かに、限度はある。それは認める。すべてを趣味ベースでやったのであればリスクを取れない可能性がある。だが、すべてにおいて意味を持つというのは甚だおかしな話だ。
勉強というのは自分の欲望のためにやるべきものだったはずだ。それをどうにかして取り戻さなくてはいけないだろう。